かれこれ二十年前、渓輔は「花守」に「”あゝ”ということを」という題で一文を書いた。その要点は、

写生、写生と言って肝心の”あゝ”ということを忘れは、俳句はそれこそほろびる。

という結語に尽きる。そして、これが終世渓輔の俳句信条であった。生活の中から生まれる感動なくして何の俳句ぞ、というのであろう。写生は大事だが、そんなテクニックだけでは、というのであろう。
渓輔の俳句は、彼の実生活そのものから生れた。典型的な「境涯のうた」だと言ってもよい。

をさなさよ掌の霜焼を「咲く」と見せ
子の誰か来よ祭酒父ひとり

と妻子を詠み、

費戸入れしいちにち鉄よく切れる
書聾満たす真昼の灯雪起し

と勤め先を詠み、

かなかなの暁校正に起き出でし
誤植落丁数多なる夢明易し

と編集を詠み、

雪解寵旅の彼方のうすあかり
居て候でで虫一個水仙居

と、死せる友生ける友を詠んだ。例に引いた句が、格別佳作というわけではなくて、渓輔の六十年ちかい人生の、主な足跡に関わるから挙げたまでである。同様な句は、集に満ちている。
そして、この生活を包む小千谷の風土色がすべての作品に浸透していることは、冬の句が特別に多いという数字が端的に証明している。渓輔は雪国小千谷の詩人であった。
晩年「花守」に連載した「けいすけ帖」というコラムの中に、「渓輔は保守反動、頑迷固随を絵に描いたような人類で(中身を知るに十五年はかかるのだそうな!)あることは、ここでも自分自身わすれたくはない」と、彼は書いた。食道手術を主治医に命じられながら、花守大会まで一か月近く引き延ばし、私以外の誰にも病気を秘して大会を取りしきった一事を見ても、彼の言行一致は尋常のものではない。
あえて厳選して遺した二二O句は、渓輔のみごとな生き方を示すに十分なはずである。その一徹の対極に、とびきり柔らかな心があり、また新鮮な感覚を瞬間ひらめかす事は、書けば蛇足となるだけであろう。願わくは、読者の見逃したまわざらんことを。
早いもので、あの悲痛な別れからもう一年が廻って来ようとしている。

渓輔よ、やすらかにねむれ。平成二年首夏

 

志城 柏

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